両親の事

両親の事ってインターネットに書く機会あんまりありませんし見ても意味ないですよね………

なので気持ち悪いけど描きます

まず1番苦手な父親から

子供の頃からこの人は怖い人だっていう印象がありながら中学生まで過ごしてたすぐ不機嫌になり怒るし図体がでかいせいでめちゃくちゃ怖い上司と暮らしている感覚だった、何をしててもそれは良くないこれは良くないで自分のやることは正当化とかいう人間のクズだったと思う。

見方が変わったのは中学生からで少し面白いクズだなという感覚だった、見る映画もなかなかセンスあるし特に海外ドラマを一緒に見て深夜まで夜更かししながら見てたりしてたのが記憶にある。

別にどっかに連れて行ってもらった事はないけどいろいろつまみながら海外ドラマを語ってたのはなんか『楽しかった』

そこからはなんか浮気したりしてて事故物件住んだりその後ぐちぐちぐちぐち母親の悪口を言ってたあとなんかよく分からない事情があり別々に暮らすことになった。

いい思い出は無いと思う。

母親について語る………

話はそれますがなんというかこうスマホで書いていても指が止まっている、というか何回も削除して書き込んでる所が見えないからスラスラ出てますが本当こう言う時手書きだといろいろ「滲む」から見応えありそうですよね。

話は戻りまして母親は子供の頃のイメージは味方であり家族……だったと思う。

俺は4人兄弟の末っ子で本当めちゃくちゃいじられてて家にいてもなにも出来なかった、その上少し何かをすると甘やかされてるだかなんだか父親とか長男とか次男が言いがかりをつけてそれで母親が「甘やかしすぎたのかな……」ってボソっていうのが子供の頃から本当苦手だった。

今でも思い出すのが小学生の頃お小遣いを貯めて母の日にハンカチをプレゼントしたり学校のイベントで母親に感謝を伝えるみたいなのがあって文字通り泣いて喜んでくれた事が頭の奥に眠っている。

中学生の頃は俺はオナホにハマっていてそれがバレた時ちょっとした家族会議になった。多分普通のオナホールだったらならずにすんだのだけど俺が買ったのは

ないしょのツインテールズ!

という3,000円近い価格のするベビーパウダー付きの「アウト」の代物だったのだ、まあそんなに咎められなかった。

高校生になってから俺は誰とも波長が合わずに母親がうつ病になり高校でゴミみたいな生活を送っていた、バイトも辞めてなにもできないで勉強まで出来ずによく担任から電話が来ていた。

もし母親に受話器を取られて学校の事を問い詰められたら母親もうつ病で自分を責めて自殺してしまうんじゃ無いかと思い、電話線を抜いた。

そうして俺は晴れて中卒のゴミとなった。

働いてない期間初めて母親と口論してしまった

「俺だって産まれてきたくて産まれたわけじゃないのによ!」

「お前を産む為に何回も苦労したのに……そうだったんだ、産まれたくなかったんだね……」

そこから俺は家族というものに情が無くなった、今は母親は父親にたまにDVされながら暮らしているらしいが俺はこの二人を別に嫌ってもなんとも思わない。

ただ10年近く一緒にいた人、ただそれだけ。