群衆の居場所

コロナ禍で人と会えない日々が続いたけど自分には普段の生活と変わらなかった、他人と出会わないから。

今感染者が少なくなると同時に沢山の人が他人と出会い、話をしてふれあっている……まるで今まで檻に入れられていたのかの様にイベントを行いお酒を飲んでいる。

もちろん人と触れ合いたいのははみくんもそう思わないと言ったら嘘になるけどそんなに人と関わりたいのか?と疑問になる、まるで一つの欲求の様に、待てを解除された犬の様に『ふれあい』を貪って本当に自分はなにかしらが欠落しているかの様で自己嫌悪さえある………もしかしてお金と社会性?

群衆は群衆として生きている、ひとつひとつが生きている訳ではなく群衆として。右を向いて歩くと意志を持たずに右に行く。居場所なんて本当は誰にも無くて群衆を作って群衆が居場所であり生きていく………左に行くものや立ち止まるものを指差して。

居場所が立ち去っていく。